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「幸せ最高ありがとうマジで!」@PARCO劇場

パルコ・プロデュース「幸せ最高ありがとうマジで!」
作・演出 本谷有希子
出演 永作博美 近藤公園 前田亜季 吉本菜穂子 広岡由里子 梶原善

今年見た舞台の中でも、いちばんエグられたというか動かされた芝居だった。
(観劇数は決して多くはないですが)

終演して不思議な爽快感があった。
初めて触れる感情が沸き起こって、泣き笑い。

以下、ネタバレもありで。

ドン突きにある自転車操業の新聞屋、という設定に象徴される行き詰まり感。
各人物にそれぞれのドロドロしたものがあるのだが、その次元を飛び越えて、突き抜けた存在として主題を背負うのが永作博美演ずる明里。

世間の常識とされるものや、ありきたりな解釈によって理解されることをことごとく拒否する、理解不能な存在。
無差別殺人が起きる度に、くりかえされる「どうして」に対して「理由なんてない」と徹底的に突きつける存在。
理解不能なものが厳然と存在する、という事実は、常識側の人間にとっての絶望。
裏返しに、理解不能とされる側の存在の、悲しみと絶望。

当たり前に存在しているだけの自分が、なぜ理解不能とみなされ、精神を病んでいるとみなされてしまうのか。
「いてはいけない存在」とされる自分は、ここに厳然と存在している。
ならば、自分の存在を許さない世界の方が間違っているのじゃないか。

ということを、理詰めで展開し、数々の泣ける批評を残したのが70~80年代の橋本治だった。

本谷有希子は、それを情念で突破する。

権威や教養や常識がぶっ壊れて、その廃墟に生えてきた草もろくでもないもんばっかり。
そんな現実にいい加減気付けよ。絶望するのは国民の義務だ、とアジる。

そんなアジテーションと裏腹に、明里の行動は突き抜けて自己肯定的だ。
自分を力づくで肯定しようとする意思。世間からの理解の徹底的な拒絶。

しかし世間と接点を持つが故に、死ぬ事すら選べない。

泥沼の果てに歌われる不恰好なハッピーバースデイは、明里にはどう映ったのだろうか。
依然として拒絶すべきものに映ったのか。
いや、いささか居心地の悪い希望に見えた、ように僕には感じられた。

しかし、現実は変わらない。
現実の生活は市井の人々を追い立て、明里はまた1人取り残される。

そしてろうそくには火が付かない。冒頭で火が付かなかったタバコと同様に。
ファック!

息子はひとつの希望を身体を張って示してみせる。明里によって生きる意味がないとまで追い込まれた息子がとった行動は、自分の存在を(暴力によらずに)他者に刻み付けること。即ちそれは表現という行動だったのではないか。

今年見た他のどんな芝居よりも、今という時代を切り取っているもののように感じた。
根底に暗いテーマを持ちつつも、観客を最後まで突き放すことのない芝居。
派手な仕掛けがあるわけではなく、どちらかというと地味な演出に終始するにも関わらず、演劇的なカタルシスをもたらす。見た目地味・下着派手な演出。
PARCO劇場という舞台に相応しくないくらい観客に集中力を要求する舞台だが、2時間飽きたり間延びすることがない。
追い詰められた人間の格好悪い必死さを悪趣味ぎりぎりで笑いにしながら、嫌な気分は残らない。引いた乾いた視線と、人間への愛情を持った視線が共存する独特な作劇所以か。

今までこんな芝居は見たことなかった。

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え〜っと 僕は痛い女が好きなことが発覚しました!! 以前このブログでも書いてまし [続きを読む]

受信: 2008.11.30 22:19

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